■1998年のコラムです。いまやここに書いた元祖長浜屋の店舗は閉店し
さらにてんやわんやなことに!
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[長浜ラーメン攻略法・元祖長浜屋]
出張で博多に来た知人が、本場のとんこつラーメンを食べてから帰りたい、と朝八時に電話してきた。
飛行機の出発時間まで二時間以上あるらしい。
「とんこつラーメンなんてこっちでは言わないんだよ、ラーメンといったらとんこつに決まってるのっ」と
たたき起こされた怒りをとんこつにぶつけた。受話器の向こうで慌てて、じゃあ博多ラーメンと言い換えたのにも腹が立ち
「本場といえば長浜たい。な・が・は・ま」とベッドの中で叫んだ。
こんな時、必ず紹介するのが長浜の「元祖長浜屋」だ。ここは年中無休二十四時間営業なので、
とんでもない時間でもラーメンにありつける。
食事時は長蛇の列なのでかえってこんな時間にラーメン食べるかい、おいおい、という時間帯の方が空いている。
味はともかく、土間の床やがたがたの丸椅子、テーブルごとに置かれているお茶の持ち上げる事が出来ないくらい巨大な
アルマイトのやかん等、飯場の食堂といったもろがさつな雰囲気で、いかにも現地の人御用達といった風情が、旅情をそそる。
ここに来ると九州と東南アジアはやはり近いと感じさせるエキゾチックさすらある。
ここで、旅行者と見破られない為に、いくつかの作法を伝授したい。
旅行者と思われて平気なら、それはそれでいいのだが、
素人っぽくおろおろして食べるより、やっぱ、「通」の振りしたいでしょ。
まず、入店時に、第一の関門がある。
複数、例えば「三人」で行く場合は店の戸のガラス越しに、店内の空席を確認する。基本は合席なので、
人と人の間に空椅子が見えていたら、そこは遠慮せず座ってもよいのだ。
空席を見つけたら、ガラリと戸を開けながら、「さんばーい」と店の奥にいる従業員に大声で注文する。
大声が苦手な人は普通の声で「三杯」といっても良いがその時は、従業員に見えるように人数分の指を示しつつ入店すると
スムーズに注文が通じる。
最近は、ちんけなレストランでもお店の人が案内してくれるまで、入り口で待機しなければいけないが、
ここ長浜では、もちろんどの従業員も、「何人ですか、あちらにどうぞ」と席に案内なんてしてくれない。だから、
いつまでもぼんやりと戸の前にたたずんでいてはいけない。次から次からお客さんが来るから、さっさと
ガラス越しに確認した空席に突き進むのだ。
そのさい、ラーメン丼を運んでいる従業員の動きにも注意を払いたい。通路が狭いので、客がさっとよける気配りも大切だ。
席にたどり着いたら、両側の先客の邪魔にならぬ様、丸椅子に座り、テーブル上にどんぶりが置ける面積を確保したら、
大ザルに伏せてあるプラスチックの湯飲みを取り、巨大なやかんを傾けて薄いお茶を注ぐ。そして割り箸を一本引き抜いている間に、
もうラーメンが運ばれてくる。
これらの作業を忘れて黙って座ってしまった場合は、注文をいつまでも取ってくれない。
しかし、そこで忙しく立ち働く従業員をつかまえて「あのーすみません、注文お願いします」とだけは言ってはならない。
黙って待ってたら、勝手に人数分のラーメンが目の前に運ばれてくるからだ。
じゃあ、入り口で注文を申告しないでいいじゃないかと指摘されれば、それはそうだが、お店の人に人数を数えさせるという
手間をかけさせているわけでしょ、通はこんな事しちゃいけないの。
「通」とは、お店と連携プレイが出来てこそ本物だ。
えっ、大盛りとか、チャーシュー麺とか頼むのはどうするのかって?
心配御無用、長浜屋には「ラーメン・四百円」この一つしかメニューがない。
だから、数だけの注文で良いわけよ。のんびり席に座って壁のメニューを「えーっと、何にしようかな」なんて眺める行為は、御法度。
さあ、テーブルの上にラーメンが来た。
これからは自分の好みだ。テーブルの上の調味料は、
バケツのようなタッパーにてんこ盛りの真っ赤な紅生姜、すりごま、コショウと、得体の知れない液体が入った急須。
これらを好きなように乗せ、食す。
以前は、とんこつの白い汁が真っ赤になるくらい紅生姜を入れるのが主流だったが、着色料の危険が知れ渡ったのか
そんな人はあまり見かけなくなった。ほんの一つまみ。
今では、健康ブームを背景に、すりごまが人気がある。
丁度ごま健康法にはまっていた知人が、テーブル上の茶筒大の容器に入ったすりごまを半分以上使った事がある。
一口食べるたびにザッザッと山盛りのごまを振りかけるので、私は、従業員の視線が気になって麺が喉を通らなかった。
黙っていたら全部使ってしまいそうだったのでなんとか思い止まらせた。
健康はかくも人を狂わせると、若い頃は人一倍人の目を気にしていた気取り屋の彼が鼻の頭に汗をかいて、すりごまが
たっぷりまぶさった麺を啜るのを見て呆れ返った。
後は、追加メニュー「替玉・五十円」「替肉・五十円」の使用法だ。
替玉は、麺のおかわりで、替肉は、チャーシューのおかわりだ。
長浜ラーメンはあっさりしているので男性の半数以上が替玉を頼む。麺がそろそろ無くなってきたなという頃、座席から
「替玉一つ」と頼むのがタイミングとしては良い。一杯目を食べ終わってから替玉を頼むと、替玉がゆがかれてくるまで
時間を持て余すし、何といっても、スープが冷える。
替玉がでこぼこの年季を感じさせる鍋で運ばれてきて、注文した人の丼にするりと麺を移し入れてくれる。
ややかたまっている麺を丼の中でほぐしながらスープと麺をなじませる。この時にはスープの味がやや薄くなっている筈なので
テーブルにある得体の知れない液体をさっとかける。余りいれるとだだ辛くなるので少しずつ調整しよう。
替玉はほとんどの人が頼むが、替肉は頼む人が多くない。たったの五十円なのだが、この店の中ではすごい贅沢をする気がして
なかなか頼めない。私は数え切れないほど長浜屋には通っているが、恐れ多くていまだに頼んだ事がないのだ。
先日、夜中にパジャマの上にロングコートを羽織って行った時、飲み屋帰りのネクタイ姿の四人連れが入ってきた。
その中の一人が上司らしく、ここは俺がおごるからと言い張り「四杯ね、それと替肉四つ」といきなり大盤振る舞いの注文をした。
太っ腹だぜ部長、ひゅーひゅー。心の中でエールを送った。
全員が後で替玉を頼んだとしても、二千円で大盤振る舞い出来るいい店だ。
さて、更なる「通」を目指して、これからは上級編を紹介したい。
そんなたいしたことじゃないんだけどね。
本場の麺食い人は、固さにこだわる、という事を知っておかねばならない。
長浜ラーメンはどこの地区のラーメンよりも麺が細い。だから、確かに麺が延びるまでの時間が短いというのは事実だ。
そこで、麺を固めに茹でてくれという注文が始まったのだろうと推測する。
しかし、普通に頼んでも、食べ始めの麺は少し固いのでわざわざ固めを頼むのは、博多の方言で言うと「つやつけとう」って気がする。
「つやつける」とは、かっこ付けるという意味だ。
博多の男はシャイだがつやつけもんが多いと思う。だから、男性客の七割は固い麺を頼む。
これは男性らしさの象徴なので、女性が固めを頼む事はまずない。
茹で時間が短いので三十秒ほど早く出来上がってくる事もあるかもしれない。
固めの茹で方を注文するには、先ほど伝授した、入り口で入店しながら注文する時に申し添えなければいけない。
一人で行った場合は「カタ」だけでいい。正確にいうと「カタ一杯」なのだがそこは上級者らしく省略してみよう。
替玉を頼む時も、「替玉、カタ」といえばよい。
たまに「やわ」という注文を聞くがたいていおじいさんだ。
やはり、つやつけるより咀嚼力の問題だ、はっきり言って男を捨てている。
実際、来る男来る男「カタ」を頼むのだが、皆がカタを頼むのであれば、つやつける意味は半減する。
そこで、もう一段上の段でつやつけたい人達が出てきた。この人たちの注文はすごいぞ。「ナマ」だ。
初めてその声を店内で聞いた時は度肝を抜かれた。
向かいに座ってカタを食べていた大学生二人も、「おい、ナマってしっとうや」と耳を疑っていた。
私もその声を発した人を思わず振り返って見た。おそらくその頃から一気に「ナマ」は広がった。
しかし、生の麺って美味しいのだろうか。カタさえ頼まないので想像も出来ない。
しかし、博多の女はほだされやすいので、もし彼が「ナマ」を頼んだとしたらちょっと惚れ直すかもしれない。
まだまだ小数派なので「ナマ」と頼む人の得意げな表情もみものだ。もし気が向いたら、わぁ、すっごーいという顔をして
見てあげよう。
更にエスカレートして「べたナマ」という注文も誕生している。
「ナマ」が、「べた」だ。すごすぎて、サディスティックですらある。こんな注文する人を彼にはしたくない。
だって、お腹こわすよ、きっと。
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